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シンガポールに来て5カ月終了しました、なんか5年くらいたった気がする。
それくらい大変なことも多かったし、いろんな壁にもぶつかった。
しかし、最高に充実した時間の中を突き進むことができている気がする。
以前、日本を出る前に、皆様へは「ビジネススクールに留学しながら世界各国の超富裕層を訪問する」って伝えてきました。
ただ大学院は2~3カ月に一度2~3週間だけしか行われないプロフェッショナルのためのコースなので、その他の時間はシンガポールオフィスに出社していて、やることはその人のコミット次第。
(その代り、基礎的なことは全て知っているという前提から始まるし、その3週間は朝早くから夜は日付が変わるまでビジネススクールに籠って、3ヶ月でやることを一気に詰め込み、最終的にプレゼンなどの形でアウトプットするようなスタイルです。)
ビジネススクールでの生活と人脈は予想通り刺激的だ、各国の中央銀行から各国の超エリート達が派遣されてきたり、世界中から優秀なプライベートバンカーやアセットマネージャーが派遣され、彼らと飲み明かしたり、旅行に行ったり、カラオケで暴れたり(笑)、真剣に議論する中での刺 激的な時間は予想通り最高だ。
しかし、この5カ月はそんなもんで終わらなかった。徹底してコミットしたら、この5ヶ月でその12倍くらいのことをすることができた。 5年間のように感じるのはそのせいかもしれない。
【自ら道を切り開く】
過去の先輩方は、留学生扱いでそのようにやってきたそうなのだが、自分の場合、過去の方々が歩んできた道っていう常識とか正直言ってどーでもよかった。
難関と言われるシンガポールの証券外務員資格(CMFAS/Capital Markets and Financial Advisory Services Examination)を150時間くらいの勉強時間を投資した上で必要科目全試験パス。 (これは、シンガポールを本拠にアジアで超富裕層ビジネスに従事するための資格)
また、ほぼ毎日のペースでネットワークを強化してきたので、一通りの分野の方々へは紹介を通じてアクセスできるようになった。
そして、そんだけやったらあちこちから案件が降ってきた、明確な意図のもと動けばどんどん新しいものが入ってくる。
これは日本での営業時代に学んだこと、国は違えど、本質的な部分は何の違いもない。
【アジア起業家達とのビジネス】
結果として、プライベートバンカーとして、晴れて直接超富裕層を担当し始めることができた。
まだまだ沢山ではないが、多くのコンタクトは既にできた。
マジで刺激的。
特にアジアの富裕層は中国系華僑の方々、インドネシアやマレーシアの華僑は数百億どころではなく数千億レベルで資産を保有する超超超富裕層。
しかも、その大半がバリバリの経営者である。
彼らに連れられてトップ層の集まる会合に連れていかれたり、彼らと飲んでビジネスのことはもちろんのこと、その先にある社会貢献、家族や周囲の人のこと、政治や戦争の話などを真剣に語りあっていく中で彼らの大きさに圧倒させられた。
正直に言ってしまうと、日本で考えてきたことの発想の幼さと小ささに恥ずかしくなったし、「本気でやる」「コミットする」「世界をかえる」っていう本当の意味を教えられた。
そんなアジアのスーパー起業家達とのビジネスを経験して、真の意味でのビジネスレベル、それは語学力なんて大前提だし、言葉の端々まで駆け引きが行われる。
そういった意味で必要な語学力とか、ビジネスセンスというものを実感した。
語学を自由に使いこなせるという意味ではない、本物の語学力、それは中味が伴っていて相手と共感を生み出せる。
それが真の意味でのビジネス世界での語学力。
ちょっとのニュアンスで伝わり方は全然違う、例えば彼らは擬人法や比喩表現が大好きだったりする。
彼らからは「こいつあんまりだ」って思われたら本当に一瞬で切られる。
ちなみに日経新聞はSG前首相のリー・クアンユーへのインタビューのアポすら入らないらしい。
なぜなら、以前のインタビュー時にレベルを見透かされて「そんなレベルで俺のところに来るな」と。
日本で最高に厳しいと言われる会社のセールスとして、ウェルスマネージャー・プライベートバンカーとして、約4年という期間を投資した。
最初は毎日何百件という飛び込み外交から始まり、最後は上場経営者達を担当できるまでステップアップする中で徹底してこのようなコミュニケーションのセンスを洗練してきて幸運だったと思うし、もっともっとハイレベルで磨く必要があることも再認識した。
【自分を高める出会いの連続】
この前も関西出張時に京都でお時間を頂いたが、私の尊敬する経営者の一人であるクリップの島田さんが『デキる人は皆やっている 一流の人脈術』という著書の中で仰っていることで大好きな言葉がある。
-「人は人によって成長する」-と。
これは個人的にも確信だ。
意図を持って刺激的な方々に会い続け、それを自分のものにし続けることが成長の一番のロールモデルだと思う。
こちらに来てから、「ここでしかできないことは?」そして「ここでの時間を最大限に生かすには?」と考え続けてきたが、やはりここで本気でビジネスをしている方々にお会いし、真剣な話もまたバカ話もしながら人間関係を構築し、生の話、生の情報、生の刺激を吸収していくことだと結論付けた。
時には、会いたければ飛び込みで会いに行くし、この辺りのフットワークの軽さとそこでの受付のスルーの仕方は体に染みついている。
先にも述べたが、その意図に基づいてほぼ毎日のようにネットワーキングしてきた結果として、一通りの分野の方々へは紹介を通じてアクセスできるようになった。
特に、アジアの上場企業創業者、5つの上場企業役員を兼務するSG経済界の重鎮や中小企業連盟のトップなど、本社のプライベートバンクで担当させてもらった日本の上場企業創業者系の方々とはまた違った意味で刺激的な方々との出会いが、一気に人脈をブレークスルーさせた。
【“Not typical Japanese”として】
そんな中で欧米人やアジア人達から毎回驚かれることがある。
「日本人なのに、何でお前はそんなに夢を語るんだ?前向きなんだ?」
「何でそんなにオープンな性格なんだ?」
「何でお前はハングリー、ストイックなんだ?」って。
彼らの中での日本人の印象はそのような感じなのだろう、非常に残念だ。
【トップレベル達と一戦交えて】
そんなおもろい日本人としてブランディング化されたり、またそんな圧倒的にネットワークが広がってきた中で、どんどんハイレベルな場所へ招待してもらえるようになってきた。
そして先々月のことだが、HWA Chongというアングロサクサンチャイニーズハイスクールに招待され、唯一のシンガポール人以外として講演を行ってきた。 (写真は講演中)
SGで最難関の日本の灘や開成のようなこの高校で、そこの卒業生である大学生や社会人たちに対して、「How to succeed in Financial industry?」つまり「金融業界で成功するためには?」ってテーマで講演した。
講演者は起業家や外資大手の敏腕社員や、首相の右腕としてスタンフォードやハーバードに送り込まれているようなSGで第一線に立つ方々。
彼らと一緒に講演をする中で、彼らとも熱い絆ができたし、また、語学レベルが高い低いとかって最低限の話でオーディエンスが求めるのは内容であるわけで、そうであれば、人を引き付けることって日本人向けと何ら違いがないってことにもちゃんと気付くことができた。
彼らの多くがこのトップ高校を卒業後、アメリカやイギリスのトップ大学へ進む。
そしてよりグローバルになって帰ってきて、これまた優秀なので、今度は国が全額バックアップしてハーバードやロンドンなどのトップMBAなどの大学院に数年後また送り込まれる。
SGは英語が公用語だが、ほぼ全員が少なくとも北京語まで話せ、優秀な人材はもう数ヶ国語まで操る、人材としてのバリューは非常に高い。
また大親友の一人である超秀才のインド人とはよく夢を語ったり、ハシャいだりしているが、彼は30代前半にも関わらず数個の大学院を働きながら卒業し、インド人ならではのシステムの天才で、ビリオネアになるべくそれのプランを着々と進めているし、彼らの勤勉さやハングリー精神は圧倒的過ぎる。
親交が深い中国人やブルネイ人なども、彼には及ばないが同じ印象だ。そんな彼らと今後アジア市場でバッティングするのはもちろんのこと、 グローバル市場でもガチンコで戦うわけだ。
【海外で戦い続ける】
そんな中で決めた。もう決めてしまった。
このまま世界で戦い続けると。
日本から海外でも、海外から日本でもない、海外から海外。
「海外で戦う・世界でビジネスするということは、世界で日本人を相手にビジネスするということではなく、世界を相手にビジネスするということだ。」というのが自分の定義だ。
この5ヶ月でその手ごたえを確実に掴んだ。
できるし、というより、やる。
前の日記にも書いたが人生に遅いなんてことはない、海外の経験がゼロだった俺なんだから、 2年前までTOEIC300点台だった俺なんだから。
だ・か・ら・海外で勝負し続ける。
プロを目指して走り続けた小学校から大学までのクラブチームや体育会でのサッカーやビジネスの可能性に見せられた学生起業、そして今の会社での営業など、俺には徹底して一つのことを死ぬほど突き詰めた結果としての「明確なビジョンや夢」と「絶対にやりきる想い・メンタル」がある。
その分、海外進出が遅れたなら、今からその分のブランクを取り返せばいいだけ。
常に自分の夢に近づく最善の選択肢を考え、アジアでビジネスを興したあと、西を目指す。
しかし西は中国じゃない、香港・シンガポール⇒インド⇒中東⇒アフリカ&ラテンアメリカ⇒EU&USA⇒日本&韓国⇒中国&ロシア⇒南極⇒夢の完成系という順番だと今のところ確信している。西から世界一周する。
なぜかを書くと、文書の長さが倍になるのでここでは避ける。
一言だけ触れると、現在TwitterではなくまずはFacebookとLinkedinに集中投資している理由と一緒。
それなりの検討の末の結果。
【夢と希望と日本のブレークスルーへの道】
夢や目標は人を支える。
人をアホにしてくれる。
俺はアホだ。
向こう見ずにガムシャラに走れているのも走ってこれてるのも、ただアホだからだ。
ハングリーさで有名な華僑や印僑の方々から「何でお前はそんなにハングリーなんだ?ストイックなんだ?」っていわれるときいつもこう答える。
「Since there're my dreams, haha I'm quite crazy about my dreams and so continuously stepping forward under full steam forever, why not?」つまり、「そこに夢があるから、夢に超夢中なんだ。だから全速力で進み続けるんじゃん。なんか変?」ということ。
日本と言う国は自由な発想を求めるようになった。
個の力にフォーカスするようになった。
欧米は以前からそうだった。
それにならって、日本も同じ路線を歩んだ。
1980年代くらいまでの日本はお受験戦争の時代だった、いい中高に入ればいい大学に、そしていい会社に、そしていい役職にといった国全体が共通の価値基準で夢や目標を目指した。
その結果としてマイホームを購入し、いい車に乗り、ブランド品を身につけるってのが勝ち組の共通像だった。
だから迷わず走り続けるのは容易だった、多くの人が必死で働いた、そして経済は急成長した。
そして疑いのない社会が生み出した共通のゴールに到達し幸せを感じたものも多かったではなかろうか。
また個では弱いがチームとしては強い、なぜなら右向け右が得意、人に協力できる協調性の高い素晴らしいカルチャーがあったから。
そのため、いざ自由に発想しろ、「ナンバーワン」じゃなく「オンリーワン」の時代だなんていわれても、その個々にとって明確な何かを探し追いかけるというのが難しく、たとえ走り始めても「本当にこれなのかな」と不安になり、スピードダウンもしくはストップ、ましてやギブアップしてしまう。
また個にフォーカスしたがゆえに、成果主義に見られるような個々のパフォーマンスが最重要視され、チームでの協調体制が弱体化し、組織として世界最強とも呼ばれたトヨタの凋落に見られるように、チーム全体のパフォーマンス値が下落した。
サッカーを例に挙げると、2002年のトルシエジャパンは完全な組織型・2006年のジーコジャパンは完全な個人型、そして2010年の岡田ジャパンはその中間よりもややチーム型。
結果は一目瞭然、2002年・2010年はベスト16、2006年は予選リーグ惨敗だった。スポーツの世界でも日本という組織・チームとして戦う場合の力が証明されている。
これは少し余談ではあったが、チームでの強さを表す良い例だと考えている。
しかし、ここで最も重要なのは、チームでも個人でも、またはナンバーワン型でもオンリーワン型ではそれはどちらでもいいが、個人型・自由な発想型の路線を目指すのであれば、個々が自ら本当に考え、時には死ぬほど頭をひねり、時には何度もぶつかって失敗してみる必要があるということ。
そして、何度失敗しても、その度、何度も立ち上がり、少しずつ軌道修正をしながら、自由な発想から決断された「絶対に成し遂げたい夢」へ進み続ける必要があるということ。
こうなれれば最高だし、毎日が最高に楽しい。
だって、自分で決断した「絶対に成し遂げたい夢」に向かっているんだから。
多くの人がそのようであれば本当に嬉しいし、そのような人々と一緒にお互いの夢に走り続けていきたい。
【世界で勝負するということ、そして感謝】
夢への道のりはまだまだ長い、今の自分自身の実力なんて世界からしたら米粒みたいなもんだ。
けど、明確な意図で走り続け、その行動を常に改善し続けられ、それが人の何倍もの量なら必ず結果は出ると信じている。
3教科の偏差値35から2教科増やして始めた、1年間365日14時間以上の勉強を時にノイローゼっぽくなりながらも成し遂げた一橋への挑戦。
弱小高校が、死ぬほど練習し、時に血を吐くほど・過呼吸で倒れるほど走りこみ、死ぬほどみんなで考え、最後の全国高校サッカー選手権大会で神奈川県ベスト16まで勝ち上がった経験。
マクロとミクロの意味も曖昧で入った金融業界で、朝は6時前に出社し、夜は誰よりも遅くと徹底してコミットするスタイルからスタートし、徐々に仕組みなども駆使しながら、最短時間で最大限の効果を発揮する最低限のロールモデルに辿り着き、歴代最年少営業記録の樹立や一万人のセールスの中で3年目にしてトップ10入りを果たすことができたという幸運。
少なくとも、自分は知っているつもりだ。
時に暗闇も見たことがある。
「絶望ってこーいうことなのか」って経験もしたことがある。
物凄いプレッシャーに押しつぶされそうになったこともある。
しかし、充実を感じていない時は一瞬たりともなかった。
いつの時も信じて走り続けた。
今度はもっともっとでっかいステージになった、いざ世界、真の意味での世界を相手に死ぬほど突き進んでいきたい。
壁は高いが、こんなにワクワクする世界に出会えたことに感謝し、自分自身の夢である「南極の氷が溶けるほど世界を熱くする」に近づいていく。
明確な道にある全てに150%でぶち当たっていく。
100%でもなく120%でもない、150%!気合いっ!!
そんな大海を、それぞれのステージは違えど、志のある皆様と一緒に航海していきたい、もっといい景色を見たい。本当にいつもありがとうございます。