Home » 想い・報告 » 人生初の海外進出までの軌跡~取られたら取り返せばいい~

人生初の海外進出までの軌跡~取られたら取り返せばいい~

ついに21日(月)の朝に海外へ旅立ちます。

27年間完全にドメスティックに生きてきた自分もついに海外進出開始です。

 

思え返せばここまで・・・・・・・

 

【海外進出プロジェクト始動】

2008年春、海外進出プロジェクト本格始動。

ちょっとずつ始めた英語学習だったが5月に受けたTOEICはなんと375点、たまたま運が悪いのかと思って7月にも再度受けてみたが395点とたいして変わらず(笑)。

この時点で、この結果が当然なことを思い出す。

一橋に受かったのは数学が得意だったからで、受験時から英語は苦手科目だったと。

(一橋経済ってのは数学の配点が高い)

高校での英語の成績は最悪、通常では追試のない試験で一人だけ追試させられたりと、あの頃は海外なんてキーワードは頭の片隅にもなかった。

大学でたくさんの帰国子女に出会った、留学生と一緒にイベントをやった、体育会に所属しながらESSにもノリで入った、そして試しに覗いてみた就職活動をキッカケにビジネスという大海に興奮した。

そっからのスピードは速かった。

大学4年生時に学生団体を設立、またインターネット広告代理店を起業、その中で営業力とリーダシップの重要性を知る。

また色んな方にお会いする中で、人との出会いが自身を成長させるベストウェイであること、ネットワークの無限の可能性を知る。

その時にビジネススクールのことも知ったし、漠然と海外留学にチャレンジしたいと思っていた。

それが100%確固たるモノになったのは2008年の頭だ、想定外のスピードで営業力・財務力・ネットワーク力をある程度のレベルまで引き上げた。

これにレバをかけるため、自分の弱点を補強するためビジネススクールという通過点はマストくらいになった。

しかも、俺のこの性格なので、ハーバードビジネススクールをゴールに据えた。

そして、2009年初頭には既にキャンパスを訪問するため、ボストンとニューヨークへ飛んだ。

そこでの見たもの感じたものが、更に自分自身をエンロールした。

ビジネススクール等で、迷ってる人がいるなら、すぐにアクションを起こし、フライトを予約し行ってしまうことを心から推奨する

 

 

【大きな壁と突破】

そこから真剣に英語に取り組みだすが、朝7時前に出社し夜もネットワーク拡大のためにあちこち飲みに行ってたりする中で時間の取り方がハンパなく難しいことを知る。

仕事の成果を下げずに、またその他のインプットタイム(毎月本20冊/毎週ビジネス誌7冊/毎週ネットワーキングの会食など2回以上)などを下げずに、英語へのコミット量・質ともに最大化する。

この形がうまくできるのようになるには正直1年以上かかったと思う。

タイムマネジメントってのは得意なつもりだったが、いろんなものを同時平行に走らせながらのタイマネをできるようになったのはここからだ。

仕事・啓発・語学・プライベートのタイムマネジメントが型にはまってきてから英語の成果にレバがかかる。

いろんなファクターがあるとは思うが、一つ例を挙げると、それは英語のための新たな時間を創出するのもそうだが英語を日常の中に導入してしまうこと

つまり、日頃から使うものを英語に変えることだ

例えば、パソコンや携帯の言語設定を、手帳や会社での会議メモを、そして情報リソースを英語に変えてみる」とか「毎週読むビジネス雑誌を英語で読む」とか「友達とのメールのやりとりを英語に変える」ってこと。

あくまでも一例だし、またけっこー最初は不都合も多く出てくるが慣れてくると色んなことに応用できる。

(会社のMicro officeのスケジュールまで英語にしたので俺の予定が把握できなとたまに怒られたりもしましたが(笑))。

 

 

【ブレークスルー】

伸び悩んだ時期もあったがタイマネがはまり始めてから一気にブレーク。

結果として、375点だったTOEICテストが今や900点超、TOEFLやGTECなどでも2年前の2.5倍に!

もちろん、これを達成するために1500時間以上を投資した。

特に後半戦はスピーキングを強化したので、先日の海外出張でも英語ネイティブ達との最低限のコミュニケーションは問題ないレベルになった。

 

  なおそびえ立つ山と舞い降りたチケット」

しかし、それでもハーバードビジネススクール(HBS)への道へはまだ大きな壁がある。

そんな中で会社が助け舟を与えてくれた、目的地に辿り着くための新幹線いや飛行機のチケットをくれた。

100%で走っていて、その結果を出していることをちゃんと評価してくれた。

金融危機などもあり、業績が急速に悪化したため、海外からどんどん人が日本へ戻されている中で、今回のような選択肢は、自分よりも7個以上差のある大先輩達が去年まで行っていたコースであり、かつあまり若手には開かれたいないコースで、そもそも自分自身の選択肢になかった。

でも100%やったものにはちゃんと目的地に到達するための手段って門が開かれる

最高のチケットをもらった。

けど、だからって楽はしない、この近道を全速力で全てを吸収しながら進む所存だ。

今回はプログラムの中で米国のYale大学のビジネススクールYale school managementのEMBAにも参加する。

しかし、当初決めたゴールであるハーバードビジネススクールにも別の機会で必ず行く(EMBAという形で)、その準備はちゃんと整ってる。

 

【取られたら取り返せばいい】

人生に遅いなんてことは何もないと信じてる。

大学の時に周囲には帰国子女とか留学にいく仲間がたくさんいた。

英語の得意に奴がたくさんいた。

それが一橋のいいとこでもあった。

そんなことに全く興味がなかった俺にそんな選択肢があるんだなーってことを気づかせてくれた。

正直言えば社会人になって「もっと学生時代に語学も勉強もやっておけばよかったかな」なんて何度か思ったこともある。

しかし、過去は変えられないこと。

だし、ガムシャラにサッカーに打ち込み、いろんな仲間とアホみたく毎日のようにオールで遊んで、くそ楽し過ぎる時間を送った。

だから、そんなふうに思う時いつもこのように思う、「あれだけサッカーしまくった、遊びまくったたからこそ今の自分がある。だからいま自分自身をコントロールできる」と。

過去にブランクがあるなら、それを埋めるために人の10倍やればいい。

自分自身のマラソンを走るときにどこで休憩を入れようがどこで給水をしようがそいつの自由だ、俺は大学時代に休憩を取ってただけなんだ、その代わりに一生休憩も給水も取らなくてもいいほど、最高過ぎる時間を送った。

自分が自信を持って、「走り続けられる」と言えるのはこの人生だったから、どこかで少し何かが違っただけでそれは今の俺ではなかったわけで、その全てを誇りに思う。

そしてこれからもっともっと最高のステージが待っている。

 

 

【実力は関係ない】

週の東洋経済は『あなたは世界で戦えますか?』というタイトル。

今は戦えませんだろう、しかし何度も言う、人生に遅いはない。

大切なのは夢を胸に信じて走ること。

進まなきゃ何も起こらない。

何も起こらない人生なんてつまんない。

『戦えます!その代わり1年だけで時間をください。そのために120%で走り続けます。』と答えたい。

自分自身に高い能力がないことはよく理解している。

たくさんのスゲエなって方々や仲間達を見てきた。

じゃあ実力がなきゃ負けんのか?

そんなつまんない世界じゃない。

俺の10倍能力がある人がいるなら、俺はその人の10倍やる。これで互角だ。

そして10倍やる中で実力差を9倍・8倍・7倍・・・と縮めていき実力でも超える。

実力は同じでやる量は10倍。

よし、これで圧勝だ!

 

 

【周囲の方々への感謝】

話は飛ぶが、こんな自分になれた過程で出会った仲間や諸先輩方にマジ感謝だ。

この3週間で自分ギネスを更新しました。

3週間で17日/21日飲み会でした(笑)。

上場企業のオーナーから学生時代の仲間に至るまでいろんなメンバー送別会を開いて頂いた。(その代わり超体調不良中です(笑))。

そんな人々に囲まれていることに心から感謝だし、本当に自分は皆様のことが大好きです。

先輩・同世代・後輩の皆様、心からありがとうございました。

そしてこれから何卒よろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

【ブルーオーシャン戦略】

この1年について。1年間のうち7割ほどの期間はシンガポールにいます。

そしてその他の期間はアジアを5・6カ国、ヨーロッパ5・6カ国、そしてアメリカをウロチョロして現地の金融機関や超富裕層を訪問します。

超富裕層達は各国の著名人であることがほとんどなので、そんな人達とのコンタクトができるのもむちゃくちゃ楽しみだけども、それよりシンガポール国内での活動がもっとも楽しみだ。

3ヶ月の一回だけビジネススクールの集中プログラムに参加しながらアジアでプライベートバンカーとしてアジアのバリバリの華僑を中心とした超富裕層達と仕事をします。

SMUのビジネススクールが提供する、このウェルスマネジメントの大学院は成果で唯一ウェルスマネジメントが学べるプログラム。

まだ今年のメンバーは分からないが、自分は若い方の年で、世界中から外資系のプライベートバンカーやアジア各国政府から官僚が送り込まれてくる。

そんなGS、HSBC、UBS、中国銀行などの主要人物とのネットワークも、もっとスゲエ各国の主要人物とのネットワークもマジテンション上がる。

ただ、そんなもんではもちろん終わらせない。

つまり、海外でも昼も夜も飛び回って、大学・金融に留まらないくそ層の厚いネットワークを形成してくる。

てか、ふつーに考えて、この会社の中では希少な海外枠だが、海外に留学や勤務で1~2年くらい行く日本人は一杯いる。

俺の周囲でも多い。

そーいった意味でただ海外に出て、異文化に触れて、語学レベルが上がるってのは最低限だ。

ただ、ある調査によると実際に行った人の8割以上がそこまでで終わってるのが現状のようだ。

だからこそ、海外でネットワーキングをする。

それは海外でしかできないことだから、日本にいながらじゃできないことだから。

日本にいて本を読めば分かることは最低限でいい。

海外でこのブルーオーシャン戦略を成功させたら、俺の最終到達地点である南極への大きな橋になってくれるはずだ。

 

 

【夢とバイタリティー】

夢は叶えるためにある、だから自分は走り続ける。

どんなブランクも実力差も跳ね除けてみせる。

そして大切な仲間も走り続けていて欲しい。

湘南乃風の『親友よ』の1フレーズ「絶対つかないぜ。膝とタメ息。」って大好きだ。

一度止まったりマイナスになると再度走り出すのが、抜け出すのがとても大変だ。

だから走り続けよう、むっちゃ気持ちいいから、バイタリティーとエネルギーは違うから。

走り続けると体や頭は疲れても(エネルギーは消費するが)、心は最高だ、むっちゃ楽しいし気持ちいい(バイタリティーが全快に)。Vice versa。最高な日々を!

 

【挨拶】

最後になりますが、今から1年後までは少なくても海外にいます。

その後は知りません海外に残る可能性はあるが、おそらくだけど一度は帰国するんじゃないかな。

今後も色んな形で絡んでください。あんなアホみたいに遊んでた自分が、ただのサッカーバカだった自分が、ここまでは来た、何度も言うがここはリレーポイント、ってことでまだまだ120%で走ります。

では、行ってきまーす!! 

  

追記:こんな状態でスタートした海外進出ですが、最終的に本当に大き過ぎるものを得る事が出来ました。

その過程を記したのが以下のエントリーです。本当に一人でも多くの人が素晴らしい経験を出来ることを真に祈ってます。

その1:『アジア最高峰との最高に刺激的なビジネス~5年間のような5ヶ月間~』

その2:『「シンガポール+αs冒険記」(1) ~帰国のご報告+本物の世界を見た1年間+決断された未来~』

 

何かあればTwitter等で気軽に相談してください。

photo credit: miqul via photo pin cc